若者の不安を打ち消し可能性ある未来を切り開くために


アエラ』 15.6.1 No.24号
これを分析してみよう。

構造及び分析

Aマクロ分析

先ずはページを薄くて軽く持ち易くさせ値段も390円と安くしておきコンビニに置き手軽に手が取れるように設定しておく。3ページごとに紙の色を変える。従来型の文字だけ白い重い紙ではなく画像と文字を上手い具合に組み合わせる。最新のテクノロジーと伝統を交互に入れる。芸能人と文化人無名人を交互に入れる。身近な家電製品と日常生活の道具を交互に入れる。映画、文学、アートと交互に入れる。

Bミクロ分析

具体的な中身に入っていこう。表紙を芸人でオシャレかつ読書好きの又吉直樹(「花火」という小説を書いており三島賞候補にノミネートされている)をバシっと表紙に載せて若者の注目を惹き付ける。見開き、さりげなくビジネストラベルの鞄の宣伝を載せて旅行=移動することの大切さを臭わせる。P3長野県の生活保護誌の女性の並んだ写真を上部に載せる。P4でようやく目次にたどり着くように設定しておく。contents-1①現場②生き方③プロジェクト④インタビュー⑤ノウハウ⑥インタビューと先ずは仕事や生き方のグランドヴィジョンを大まかに示す。目次の下半分にさりげなく内田樹の記事を配置。「複雑系に最適化した欲望の安寧が至高の法理」と銘打ちしてありフランス現代思想(内田樹レヴィナスの翻訳者)と仏教の話と見せかける。しかし内容は大阪都構想住民投票について批判している。つまり政治批判が主眼にある。P5スイミングウエアの宣伝をして泳ぐ=体を動かすことの大切さを表す。P7再び目次が来る。contents-2①芸人②女性③スポーツ④事件⑤スポーツともう一度目次を噛ませる。細目を示すために。このページの下半分に浜矩子を登場させる。「哀れ、消えゆく英国リベラリズム」と銘打ちイギリスのリベラリズムの話に見せかける。しかし実は自民党批判をしている。リベラリズムのそもそもの根源を突いている。つまりこれも政治批判なのである。目次を二回使い男女交互に政治批判をさせる。P9又吉直樹がマスメディアに囲まれてインタビューを受けている写真を上部左上に設定。経歴をさりげなく載せておく。左上に文字「22時、23時で仕事を終わらせて夜中の24時くらいから書いてました」と又吉直樹と凡人との気合いの差を見せる。そうか又吉直樹さんも努力の上に今があるんだな。人を見かけで判断してはいけないと警告を鳴らす。その後様々な分野で活躍している芸能人を上げまたは地域に密着して活躍されている方を交互に挟み様々な「活動の場」を写真をふんだんに使って紹介してすり抜ける。

視点

年齢の若い層に「活躍の場、将来の見通しの無さを打ち消し明るい可能性ある未来」を提示するために写真をふんだんに取り入れて文字を拡大したり縮小したりしながら「アクセント」を付けることでインパクト=自信を与えて若者を心を動かす。

芸術家魂…。

15.5.24 東京巣鴨で開催された音プレ

  序文

貨幣と心の動きを踏まえた上で場所と時間とインターネットを駆使した新たな「デザイン」から自然環境の大切さを尊重重視移行へ向けるための論考

⑴自分の身の回りで参加したイベント

15.5.24 東京巣鴨で開催された音プレ

A音プレ団体の活動趣旨

以下私の持論を述べてみよう。おそらくプレゼンをした彼も薄々感ずいているはずだ。私はそれをより明確な形にしたいと思う。中野千枝が随分昔に指摘している。縦の組織系統ではなく(例えば係員、課長、社長という形態)ではなく分散型ネットワークで横に展開する。ここまでは中野千枝と同様である。肝心の点は中野千枝の時代にはインターネットがなかった。私なりに敷衍してみよう。具体的には「インターネットを駆使して」横に展開する。インターネットを上手く活用すればの前提に立って論じる。より効率的にいく。誰かが自宅でパソコンで事務経理関係は管理してしまえばいいので通勤してオフィス等の「固定の場所」に通う必要性は時間とコストの面を省ける。スマホで連絡やグループも組める。お金が足りないと男性が言っていたが確かに現状お金が不足しているのだろう。音楽の表現活動にはお金が不足してしまうのが現状だ(レコードもCDも売れない時代だから)。しかしインターネットを活用してもっとフレキシブルに動けばコストパフォーマンスはぐっと下がる。ノマドで固定の「場所」を作らない「組織」の方があらゆる面で効率的になる。会場は小さいのを借りる。所有して購入するのではなく借りるのだ。そこの会場で音楽好きに思う存分音楽への情熱をとことん語り演奏してもらおう。

B時間

さて肝心の時間デザインの話になるがわかりやすく都市を例にあげながら説明しよう。上記の説明のとおり縦割りの組織というのは垂直に時間が流れてるという考えの持ち主の発想(官僚的発想)である。デザインも大型の商業ビルというコテコテの四角いビル(KITTEのように中を空洞のふき気抜けにしておき周縁にショッピングの店や食事の店やカフェを配置して置く(エレベーターやエスカレーターも付けて置く)という従来型でありつつもそれをソフィスティケートさせるという考えもあるにはある。しかしこれはどん詰りの気もする。実際土地スペースがない。さらに大地=自然に失礼だ。しかしこのデザイン方式はあくまでも垂直に時間が流れてると思い込んでいるという持ち主のデザイナーの発想である。では横に流れてる(正確には時間は数直線には流れない。同時並行なのだが。まあそれはともかく。)つまり時間を量子力学の観点から解釈しているデザイナーの観点(つまりインターネットを上手く活用したやり方)を見てみよう。

C具体例

まず確実に言えるのがこの観点では丸の内の再開発のように大型商商業ビルをバンバン建てるやり方は全くもって不効率不健全。ネットを駆使すれば大丈夫だ。会場をどうするかになるが上記に述べたように小さくてコンパクトで簡素な値段が安い会場を借りるで良い。高い金額を支払いわざわざ会場を買い上げる必要性はない。そうすれば土地スペースの無駄使いをしなくて済む。わざわざ半径500メートルもある高層ビルをバンバン作るやり方は土地かつ金銭共に無駄使で非効率。そして反自然反エコだ。私個人の印象からしてもおそらくデザイナーやクリエイターとしても六本木ヒルズやミッドタウンや東京国際フォーラムのように馬鹿でかいご立派なコテコテしたビルを新たに作り続ける必要性はないと感じている方々もいるだろうし、そもそも本来であればデザイン活動も大型商業ビルを使用する(とりあえずイヴェントのために仕方なく借りるか…という方々もいるだろう)という形態はあまり好ましくない。また私個人もおそらくああいうビルにはあまり行きたくないなという実感がある。とりあえず集まる場所がないから一応借りるか程度だろう。同感するという方々も少なからずもいるのではなかろうか。

D企画化

上記とほぼ同様だが小さくコンパクトで簡素で木材を使用した自然な感じの会場を安い安いコストで貸してもらう。そこで様々な地域ごとにそれぞれ小規模な会場で演奏者と観客が近い距離で接し合いう形のジョイントコンサートを開く。なおかつ間に演奏者と観客と議論したりその後皆で飲食をしながら歓談する。そうするれば仲間で知識も高め合うしよい意味で連帯、共感の輪が広がるだろう。

結論

その会場で音楽に限定せず広い意味でのアーティストないしアート評論家(若手シニアを問わず)思う存分「自分の譲れないアート魂(プライド)」を披露していただきたい。




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ルソーニアンの独り言

ルソーは自然へ帰れとも自然へ帰りたくても帰れない、ともどこにも書いていなくて、あれは全集を通しで読みルソーの言いたかったことを自分自身の直観で感じ取る。すると自然へ帰りたくてもどうしても帰れないんだ、、、というルソーの悲鳴声を聞き取れる。なんで、ルソーが哲学を否定し書物を読むな、と主張するのは、まずはルソーが母親がいなかった。時計職人の父親に育てられた。かつ早熟でまず本の世界で全ての感情の流れを「頭の中だけで理解してしまった」とすると後から「経験」することで事後的に「体感」していく格好になる。そうすると、ある種の空隙のなかで生きることになるわけだが、自分の人生体験の反面教師として書物からはいるな!と言いたかったわけで「エミール」でルソーが言いたかったのは、ふつーに木工細工の職人で暮らしていけばいいんじゃね?っていうふうになる。そうすると、ルソーは多分ものすごくジェントルマンであったのだが、いわば権威者とか威張り散らしている連中と関わりたくなくなるわけだ。フランス国王が会いたがってもルソーがあんなやつに会いたいわけなかろうが。で寝坊しちゃいましたーっつって合法的にばっくれる。